財産事件 [公開日]2019年4月11日

クレプトマニアの実情と刑事弁護のあり方

この記事では、現代におけるクレプトマニアの実情と、弁護士としての刑事弁護のあり方を論述します。

クレプトマニアの被疑者の方、またはその家族の方で、弁護士による刑事弁護の依頼をお考えの方は、クレプトマニアの弁護についてまとめた記事がございます。下記をご参照ください。

[参考記事]

クレプトマニア(万引き癖)の特徴とは?診断基準・治療法と弁護方法

1.クレプトマニアの刑事弁護上の意義

クレプトマニアの人は、物品を盗む行為そのものに対する欲求を理性では抑えることができません。

  • 盗んだ物を自分で使ったり換金したりするつもりがない
  • 盗めばすぐに警備員に見つかってしまう
  • (同種の前科があるなどして)捕まれば重い刑罰を科せられてしまう

上記のような、通常人であれば損得を考えて盗みを思い留まる状況にあっても、盗みを繰り返してしまいます。

通常、何度も万引き等の犯罪を繰り返してしまう人に対しては、検察官や裁判所は「罪を犯して罰せられたにも関わらず、反省が足りず再発防止の努力もしていない」と評価し、罪を重ねるごとに前より重い罰を科すことで再犯を抑止しようと考えます。

しかし、クレプトマニアの患者は、いくら重い罰を科せられてもそれを以後の行動に反映させることができません。
となると、クレプトマニアの人には、刑罰が再犯の抑止手段にはならないということになります。

この場合、必要なのは重罰を科すことでは無く、クレプトマニアの適切な治療を受けることです。

犯罪者を「クレプトマニアの患者」と捉え直し適切に治療を受けさせることは、再犯防止にも有益です。患者本人が必要以上に自由を剥奪されることも防止します。
社会的コストを下げるという点でも「画期的」です。

患者本人、司法関係者、潜在的に被害者となりうる国民一般の全てにとっても、「有益なもう一つの道」という意義があります。

しかし、患者を刑事弁護する場合、どの要素を重視し争うかは今でも論争的です。大きく見れば、二つの要素があります。

第一は、クレプトマニアは、盗みをしてはいけないという法律の命令を理解し遵守することのできる精神能力がないか弱っていたと主張する、意思能力を争う要素です。

第二に、その程度には至らないにせよ本人の努力や意思ではどうにもならない部分もあったのだから重罰を科すことは回避すべきと主張する、情状を争う要素です。

2.クレプトマニアの治療についての医学的評価

クレプトマニアに罹患しているという主張は、万引き等の再犯者にとって実刑判決を回避し執行猶予を得る「一つの希望」と言えます。
しかし、残念ながらこの疾患とその治療方法は、国内で肯定的な評価が固まっている状況ではありません。

確かに医学界では、「クレプトマニア」という疾病が存在する意識は共有されています。実際、医学的見地から、複数の国際的な精神疾患の診断基準にクレプトマニアが搭載されています。

しかし、国内外の精神科医の間でも、その診断基準を文字通りに解釈する場合、基準を満たす例はほぼなくなってしまうのではないかと言われています。
実際にクレプトマニアと診断し治療を試みる医師も悩んでいます。

特に問題になる診断基準は、「盗みをするのが盗んだ物を自分で使うためでも売ってお金にするためでもない」というものです。

この診断基準を満たさないと判断されれば、万引き等がクレプトマニアに該当することはあり得なくなります。もし基準を満たす場合でも、その行為はそもそも「窃盗」に当たるのかという疑問も浮上します。

それを受けて日本の医学界の、クレプトマニアの診断および治療に取り組む医師たちは、この基準を緩和して解釈し診断することが多いようです。

窃盗の対象となる物には、利用価値や交換価値(売ってお金にした場合の価値)があります。しかし、当人にとって、それを盗めば刑罰等の不利益を被ることになります。
そうすると、客観的には、盗むことにはメリットが無いことになります。

それにも関わらず、盗むことを自ら抑止できないのは「異常」であると解釈し、基準を満たす万引き犯も存在すると考えられてきた訳です。

しかし、検察官や一部の裁判官は、日本の医学界の解釈を評価せず、国際的診断基準を文字通りに解釈して個々の刑事被告人がクレプトマニアに該当しないと判断する例が少なからずあります。

また、上記のもの以外にもクレプトマニアの診断基準は複数の小基準で構成されており、他の小基準を満たさないと判断されることもあります。

こうした状況を変えるには、先例に則るならば、日本の医学界では問題の診断基準を緩和して解釈するのが標準的な考え方となっていることを示す必要があります。

しかし、残念ながら、日本の医学界でも、クレプトマニアの診断に積極的な医師及び医療機関は多くはありません。

現代では医学が高度に専門化し、医学界全体である考え方が共有されているということを立証するのは容易ではありません。

クレプトマニアの研究が深まり、研究成果が蓄積されれば、改善の見込みはあります。しかし、今はまだその途上です。それが「偽らざる現状」でしょう。

しかも、執行猶予の獲得や酌量減軽といった刑事弁護上の成果につなげるにはまだハードルがあります。

もし弁護人がクレプトマニアと診断するのが正当と裁判官に認めてもらえても、国家が直接刑罰を科して再犯者に教育を施すよりも、社会内で医師の指導に従って治療を受ける方が再発防止に有効であるという論拠を示す必要があります。

そのポイントは以下の通りです。

  • 治療内容の合理的根拠があること。
  • 良好な治療成績を残していること等治療が刑罰にまさる点を、治療にあたった医師が適切に裁判所に説明すること。
  • 診断書や法廷証言を濃厚で説得的なものに仕上げられていること。
  • 弁護人がその要点を理解しやすい形で裁判所に飲み込ませることが出来ること。

以上のポイントにより成否が左右されます。

勿論、判断する裁判官自身の裁判以前の考え方にも左右されます。その意味で運もあります。

3.クレプトマニアの主張をする場合の注意事項

第一の注意事項は、当然のことですが被告人にクレプトマニアと疑われる兆候が客観的に存在し、仮にクレプトマニアという疾病であると診断された場合、目前の刑事訴訟の結果とは関係なく長期にわたる治療を受け入れるという意思が固いことが必要になります。

第二の注意事項は、精神疾病の治療及び診断一般に言えることです。
それは受診者が診断を受けることによる利益にばかり注目し、正確な診断や治療を行うことが妨げられることです。これは本人のためにもなりません。

クレプトマニアの主張をする方針決定は慎重を期す必要があります。

第三は、診断および治療には金銭的・時間的に少なからぬコストがかかることです。
コストは、受診先機関の方針によっても異なります。

数か月の閉鎖病棟への入院や週5回の通院、一回当たり10時間のプログラム施行といった、会社勤め等の一般的社会活動との両立が困難な治療が必要となる場合もあります。
その場合、治療費も弁護士費用以上の額を要することが少なくありません。

勿論、短時間・低頻度の通院でよしとする治療機関も存在します。
しかし、この場合、その治療効果もそれ相応のものと評価されるおそれがあります。

十分な治療期間が利用できる場合を除き、積極的に選択することはためらわれます。

第四は、刑事裁判のタイムリミットと関係します。

時間をかけ徹底的に治療する場合、治療効果は期待できます。しかし、逮捕後に受診と治療が開始された場合、治療成果が顕著に現れる前に刑事裁判のタイムリミットが訪れます。
その結果、十分な結果を法廷に提出できない状態で、判決が下されるおそれもあります。

弁護人は、裁判所と協議のうえ、公判の進行をしかるべく調整する必要があるでしょう。

第五は、治療結果を法廷に提出する場合にも、一筋縄ではいかないことです。
弁護人はまずは医師の診断書をもって証拠とするでしょう。しかし、検察官がその取調べに素直に同意することはあまり期待できません。

全部不同意の意見を受け、医師の法廷証言が必要となることを見越しておくべきでしょう。

それが不可能である場合、被告人自身に治療の成果を語ってもらうなどして、裁判官の評価を仰ぎます。しかし、専門家による書面や証言に対し、それが説得力を十分に確保することは余り多くないでしょう。

そうすると弁護人は、受診先選択の時点で医師の立証への協力姿勢も確認する必要があります。
もし必要があれば、より訴訟対応に慣れた医療機関を選択するよう依頼者に指導することも検討すべきでしょう。

診断書作成や医師の法廷証言のための日当は、通常は治療費とは別に請求されます。
医療機関による差も大きいのですが、弁護士費用と同等程度のコストがかかる場合もあります。

被告人自身やその家族などが続けざまの負担に応じられるか、弁護人は注意が欠かせません。

4.患者を刑事弁護する場合、どの要素を重視し争うか

はじめに述べたように、患者を刑事弁護する場合、二つの要素があります。
クレプトマニアに罹患しているという事実を、責任能力を争う要素として用いるのか、情状を争う要素として用いるかは、事案次第です。

もし責任能力を争う要素として用いる場合、その主張の成否が判決の結論を大きく左右することになります。
検察側の反発・反証もより厳しくなり、裁判官の要求する立証もより緻密なものとなるでしょう。

検察側が診断書や意見書を提出したり、医師の証言を請求したりして、弁護側の医師との全面対決となる可能性もあります。

弁護人は、受診先の医師にどこまでの協力が期待できるか、手持ちの証拠が万全か等十分な検討のうえで、責任能力を争うか否か決断する必要があります。

5.クレプトマニアの窃盗事件をより良く弁護するために

クレプトマニア罹患の事実の主張は、特に万引き等の再犯者の弁護にあたっては希望と言えます。
しかし、安易に採用できるものではなく、見込まれる成果も安定しているとは言えません。

示談交渉、親族等による監督等、通常の弁護活動を尽くした上で、これに取り組むことが前提です。
依頼人の要望が強い場合でも、その期待に見合った成果が得られる可能性は、慎重に判断し、弁護活動にかける労力と資源の配分を誤らないようにする必要があります。

本文でも指摘したように、クレプトマニアという疾病そのものの研究や治療は、まだまだ端緒に就いたばかりです。しかも、日々進歩し変化します。

そうすると、弁護人としては常に最新の資料を確認し知識をアップデートすることが適切な弁護活動を行うために期待されています。

法律雑誌等に留まらず広く情報を収集し、経験者と情報を共有することを心がけましょう。

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